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2019年03月20日(水)

No.1620

おはようございます!
ストラコム 坂本です!
今朝はニュースから…
「親の体罰禁止、法制化=虐待防止で方改正案決定」(JIJI.COM
躾という名の虐待で幼い子供が命を落とすような事件があったことで、政府は今国会での法制化を急いできたのだと思います。
私自身、3人の娘を育ててきましたが、そこに体罰がなかったかというと、もちろん(と言っていいのか)ありました。
「叱る」、「叩く」というものです。
だからといって、子供達に対して愛情がなかったかというと、ほぼ及第点ぐらいには愛情は注いできたと思っています。
子供達は、すでに学校を卒業し職についています。
3人ともに自慢の子供達です。
体罰=悪いこと
ということに否定はしません。
子供を育てるということは、命をつなぐことでもありますから、しっかりとした信念のもとに育てていくことが必要なのだと思います。
もし私が、子供のために必要であると信念を持って接した結果、体罰を生み、法律に違反しているとして逮捕されたとしても、おそらく納得の上での行為とするかもしれません。
体罰の定義は、どこまで入るのでしょうか?
「手をあげる」だけではなく、「怒る」「怒鳴る」「攻め立てる」「追い込む」といった言葉の暴力は対象となるのでしょうか?
身体の痛みは一瞬ですが、言葉の暴力は、長い期間引きずることが多いのではないかとも思います。
決して暴力を肯定しているわけではありません。
愛情の希薄さ、自分さえよければいいという自己中心的な考え、周りとの協調性のない家庭環境、「おもてうら」のある友達関係、仕事をルーチンと捉えてしまう意識、店舗で買い物をした時のうわべだけの「ありがとうございます」、みんながやっていれば「やる」、逆にそれをしなければ目立つのでいじめられる。
いつのまにか、そんな世の中になってしまっている気がします。
虐待防止はやるべきです。
親が躾と言ってしまえば体罰であってもなかなか踏み込めなかったというジレンマもわかります。
しかし、過保護にすることで、友達同士のいじめや保護者への激しい反抗、体罰させるように持っていくような知能犯的な誘導などが増加する気がしてなりません。
全ては家庭での子供との接しかたにも問題があるように思います。
他にもやるべきことがあるのではないかと思いますが…
さあ、明日はお休みですね。
家族とのコミュニケーションをはかってみてはいかがでしょうか?
今朝はここまで!
では、いってらっしゃい!
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